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清流会稲美支部ウォーキング 「東播磨の歴史を訪ねて(第6回)」 参加者募集!

東播磨、とりわけ加印地区は印南野という名で風土記・万葉集の時代から風光明媚な場所として知られています。
せっかくその地に生まれ育ったのだから身近にある史跡や風景に親しもうと、6年前の秋、清流会稲美支部では播州葡萄園跡・葡萄園池・井澤本家等を訪ねる第1回ウォーキングを実施しました。
2回目は明石市東二見の海浜公園から海岸沿いに東へ進み、住吉神社まで歩きました。
3回目は三木市中心部にある旧玉置家住宅、三木城址、金物博物館等を訪ね、
4回目は加古川の寺家町通り、ニッケ社宅クラブ、宮本武蔵ゆかりの泊神社など、
5回目は高砂市の〝石の宝殿″で有名な生石(おうしこ)神社、特産の竜山石の採石場、宮本武蔵生誕の地などを巡りました。
それらの内容は当ホームページに掲載されていますので、ぜひご覧ください。

第6回は稲美支部の会員にとっては、同じ加古郡である播磨町の海岸に近い地域を歩きます。
しかし、あまりにも近いので、これまで通り過ぎるだけだったという人も多いはずです。
緑あふれる田園地帯の稲美町と、海に近く大きな工場や住宅街がひろがる播磨町とでは、高度成長期以後の数十年でどのように違ってきたのか。
歩いて確かめてみてはいかがでしょうか。

無理のないコース設定になっていますので、脚力が少し心配な方にも安心して参加していただけます。豊かな風土を実感してください。

 

第6回 2018年11月23日(祝)  【播磨町】ジョセフ・ヒコゆかりの寺から古宮漁港、新井(しんゆ)用水へ  

○集合・解散時間 午前9時00分~12時30分

○集 合  午前9時00分 稲美町役場駐車場(正面玄関側) 9時10分出発

○参加費  200円(資料代・保険代) ※当日、集金

○順 路  約7キロ、2時間30分(ウォーキングの時間) 40分(車往復)

稲美町役場駐車場(正面玄関側)集合 → 清水交差点 → 播磨町役場駐車場
→ 播磨町立図書館 → 蓮花寺(新聞の父、ジョセフ・ヒコ建立の〝横文字の墓″)
→ 阿閇(あえ)神社(本殿4棟が県指定文化財) →本庄下橋(喜瀬川)
→ 播磨町総合体育館 → 浜田公園(海、人口島、クルーザー係留地が見える)
→ 古宮漁港 → はりまシーサイドドーム(雨の日でも、テニス、フットサル〔子ども利用のみ〕、グランドゴルフ等が実施可能な多目的ドーム)
→ 望海公園 → 播磨南高校の正門前 → 大池(池の東南の広場に「播州加古郡新井(しんゆ)記略石碑」あり)
→ 播磨町役場駐車場 → 稲美町役場駐車場

  • 11月20日(火)までにお申し込みください。

小雨決行とさせていただきます。

天候急変の可能性もあり、雨具をご用意ください。

飲物等は各自でご用意ください。

  • 参加申込・お問い合わせ先 080-1482-3381 高田道夫(稲美支部副支部長)

 

【参考】
新井(しんゆ)開削の父、今里傳兵衛
傳兵衛は古宮組16ヶ村の大庄屋で古宮村の庄屋を兼ねていた。
承応3年(1654年)の大干ばつで危機感をつのらせ、姫路藩主に用水建設を願い出る。
新井は加古川大堰(八幡町中西条)から取水した「五ヶ井」の水をわけてもらい、
播磨町古宮大池までの14キロ弱を流れる用水路。西ノ山、日岡山山麓の岩盤を削り、
喜瀬川の底に水を通す「埋樋(うずみび)」等の工事をへて、明暦2年(1656)開通。
上記石碑の裏面に、用水の恩恵を受けた地域の図(石板)がある。

新聞の父、ジョセフ・ヒコ
ジョセフ・ヒコ(幼名:彦太郎、のち浜田彦蔵)は、1837年(天保8年)に播磨国加古郡古宮村に生まれた。
幼い頃から、船乗りに憧れ、13歳で江戸に行った帰りに船が難破し、太平洋を漂流。
53日目にアメリカ船に救助され、サンフランシスコへ。
同地で起業家にして税関長の秘書となり、洗礼を受け、ジョセフ・ヒコと改名。
さらに、日本人として初めてアメリカ市民権を得る。
1859年(安政6年)、9年ぶりに帰国し、アメリカ領事館の通訳として働く。
しかし、幕末の世相に身の危険を感じて再び渡米。リンカーン大統領と会見する機会に恵まれた。
1862年(文久2年)、再度、故国で働く決意をして帰国。
領事館で働きながら、外国の事情を日本に紹介したいと考え、新聞発行の準備をする。
やがて独立し、1864年(元治元年)、日本で初めて新聞(名称は「新聞誌」)を発行。
1870年(明治3年)、郷里訪問時に両親の墓を注文し、翌年、蓮華寺にて除幕式を行う。
裏面に英文が刻まれているため、「横文字の墓」と呼ばれた。
1897年(明治30年)、60歳で亡くなり、波乱に満ちた生涯を閉じた。東京・青山の外人墓地に墓がある。


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