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第34回清流会稲美支部総会

日時 令和4(2022)年7月3日(日)
場所 稲美町コミセンホール
第1部
開会のことば
校歌斉唱
支部長挨拶 西川征志郎
来賓祝辞
 清流会本部・副会長 岡山 幸義 様
 加古川東高・校長  志摩 直樹 先生
 加古川東高・教頭  菊川 泰  先生
来賓紹介 清流会校内幹事 吉川 恭子 様
議長選出
議事
第1号議案 令和元・2・3年度事業報告
第2号議案 令和元・2・3年度会計報告・監査報告
第3号議案 令和4年度事業計画
第4号議案 令和4年度予算
第5号議案 役員改選
記念撮影

第2部
講演 「農業と営農組合」
講師 小山 和彦 氏 (農事組合法人ファーム稲加代表理事)

第3部
懇親会 


第三回船江恒平杯-稲美野将棋大会


【お知らせ】第31回清流会稲美支部総会について

清流会稲美支部の皆様こんにちは。
今回は毎年年一回開催されます清流会稲美支部総会のお知らせです。
お忙しいところ申し訳ありませんが、ご参加よろしくお願い致します。

日時:平成31年7月7日(日)午前10時~
場所:稲美町立コミュニティーセンター(稲美町役場4階)
総会:10時~ 講演会:11時~ 懇親会:12時15分~
会費:一般会員 5,000円 役員 8,000円

講師:高橋守雄氏 兵庫ボランタリープラザ所長
演題:『災害とボランティア ~支援する人を支援する社会をめざして~』


清流会稲美支部 第6回ウォーキング 新聞の父、ジョセフ・ヒコの故地から海沿いの公園へ (播磨町)

稲美支部のウォーキングも6回目となる。
期待通り、平成30年11月23日(祝)は好天に恵まれた。
簡単な打ち合わせの後、稲美町を出発した車は、一路、播磨町役場に向かい、現地集合したグループと合流した。
まず、地図で本日のコースを説明。庁舎前で菊の展覧会があり、季節にふさわしい趣きがある。

最初の目的地は役場近くにある播磨町立図書館。ロビーまで入り、館内を見学。
「図書館で冒険しよう」等、よく考えられた企画案内があり、スタッフのお気持ちが伝わってきた。
次に樹木などがよく整備され、「街」の雰囲気がある道路を西に向かい、喜瀬川を渡る。

喜瀬川

喜瀬川にかかる橋から上流方面を見る

喜瀬川は稲美町の長法池を水源とする約8㎞の2級河川であるが、その長法池には山田川疏水の水が流れ込んでいる。
神戸市西区の山々から流れ出た水がここまで・・・と思い、遥かな旅路?に感慨をもつ人もいたらしい。
さらに西に歩くと、ベーカリーからパンの焼ける匂いがしたり、マニュキュアの店があったりで、同じ加古郡でも稲美町とは違う。何よりも、田んぼがほとんどなく、家々の間にわずかに家庭菜園がある程度。高校の頃、播磨町を自転車で通ったという人は「当時は田んぼもだいぶあったけどなあ」と声をあげる。

やがて、北本庄にある蓮花寺の木々の茂みが見えてきた。新聞の父、ジョセフ・ヒコ建立の〝横文字の墓″があることで有名である。
古い山門をくぐると、境内右にその墓と解説板があった。

ジョセフ・ヒコ

ジョセフ・ヒコが建立した墓の裏面に刻まれた英文

ああ、これか。誰もが裏にまわり、墓石に刻まれた英文や年号を読もうとした。
さすがに明治初年に建立された墓石には風雪が感じられる。

ジョセフ・ヒコ(幼名:彦太郎、のち浜田彦蔵)は、1837年(天保8年)に播磨国加古郡古宮村に生まれた。
幼い頃から、船乗りに憧れ、13歳で江戸に行った帰りに船が難破し、太平洋を漂流。
53日目にアメリカ船に救助され、サンフランシスコへ。同地で起業家にして税関長の秘書となり、洗礼を受け、ジョセフ・ヒコと改名。
さらに、日本人として初めてアメリカ市民権を得る。
1859年(安政6年)、9年ぶりに帰国し、アメリカ領事館の通訳として働く。
しかし、幕末の世相に身の危険を感じて再び渡米。リンカーン大統領と会見する機会に恵まれた。
1862年(文久2年)、再度、故国で働く決意をして帰国。領事館で働きながら、外国の事情を日本に紹介したいと考え、新聞発行の準備をする。
やがて独立し、1864年(元治元年)、日本で初めて新聞(名称は「新聞誌」)を発行。
1870年(明治3年)、郷里訪問時に両親の墓を注文し、翌年、蓮華寺にて除幕式を行う。
1897年(明治30年)、60歳で亡くなり、波乱に満ちた生涯を閉じた。東京・青山の外人墓地に眠る。

蓮華寺

蓮華寺にて記念撮影

記念撮影の後、‶浜国道″(かつての国道250号線)を渡り、阿閇(あえ)神社に向かう。
神社を囲む玉垣には寄進した人の名前が刻まれている。ある一角に「平郡」姓が並んでいる。
「もしかしたら、世界史の平郡先生のご親戚の方々では?」誰かがあげた声に、一同大いにうなずく。
学年は違っても、平郡先生に教えていただいた卒業生が何名かは参加している。
境内に入ると砂が敷き詰めてあり、何とはなしに海が近いように感じられる。
ウォーキング担当者から配布されたコピー「阿閇神社の本殿屋根ふき替え完了」の記事(神戸新聞NEXT 2018.9.10)をあらためて読み直す。

阿閇(あえ)神社

阿閇(あえ)神社の境内にて

社殿は1702年に建造され、「一間社春日造」と呼ばれるめずらしい構造で、県指定文化財になっている。形と大きさが同じ宮が横一列に並び、短い橋でつながる。
真新しい檜皮葺の屋根がすがすがしい。拝む場所は一箇所。思い思いに手を合せたが、何を願ったのだろう。
天井に寄進者名を記した額があり、誰かが「浅原歯科医院がある!」と言った。浅原氏は同じ学年で有名人だったらしい。
宮司さんに「稲美町から来ました」と伝えると喜んでくださり、案内書をいただいた。

ここから、コースは東に向かう。
暮らしの息吹きを感じさせる民家が連なる狭い道路を歩いていると、二階の屋根下に「うだつ」がある家があった。漆喰で固めたこの簡素な装飾は、かつて豊かさの象徴であった。
魚や海苔などを積んだ荷車がこの道を行き交ったのだろうか。
江戸時代、測量をしながら加古川河口に向かう伊能忠敬の一行が通ったのだろうか。

再び、喜瀬川に出会う。満潮が近いのか、この辺りの水量は豊かで、橋の上からは無数の魚が動き回っているのが見える。近くには釣具店の看板もある。

その喜瀬川の西岸を海の方に歩いていると「へぐり渡船」という看板を出した店があり、またしても平郡先生が話題になった。
喜瀬川の河口には思いもよらない風景が広がっていた。新しい緑の芝生の広場で、グラウンドゴルフを楽しむ人がいっぱいいた。
その横の本庄の港には広い駐車場と釣り船の発着場があった。

本庄の港

本庄の港に停泊する釣り船や渡し船

海釣りを楽しむ人はここまで車で来て、予約した舟に乗って沖合の防波堤や播磨灘に出かけるらしい。
「ご近所にこんなところがあるなんて・・・」いくつになっても驚きの連続である。

喜瀬川から別れ、人口島北の交差点から南に向かう。
播磨町総合体育館の前まで来たとき、「子どもが中学か高校の頃、駅伝大会でここに来たなあ」という人がいた。
その横の浜田公園から古宮漁港に向かう際は、海辺の防波堤を利用してつくられた遊歩道を歩く。
この辺りは自家用船の基地になっているらしく、海にいくつもの白いクルーザーが浮かんでいる。

クルーザーの停泊基地

浜田公園海側にあるクルーザーの停泊基地にて

稲美町の緑あふれる田園風景もいいが、播磨町の青い海に人口島が浮かんでいる光景も素晴らしい。
おそらく人口島が完成してから半世紀になるのではないか。この五十年、両町はそれぞれの道を歩んだ。
私たちは稲美町から来て、播磨町の海辺を歩いている。

古宮漁港からは、沖に向かう海を挟んで西側の(播磨町)に川崎重工業、東側(明石市二見町)に三菱重工業神戸造船所の巨大な工場が横たわっている。
この光景をジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)が見たら、発行した日本初の新聞にどんな記事を書くだろう。

川崎重工業の工場群

古宮漁港から眺める川崎重工業の工場群

白い鳥たちがエサを探している静かな古宮漁港を後にして、はりまシーサイドドーム (雨の日でも、テニス、フットサル、グランドゴルフ等が実施可能な多目的ドーム)や播磨南高校の前を通り、西北に向かう。
「大池」という名称の池に隣接する広場に「播州加古郡新井(しんゆ)記略石碑」があった。
そこには播磨町の田畑をうるおす新井(しんゆ)用水開削の父、今里傳兵衛を顕彰する大きな石碑が並んでいた。

今里傳兵衛頌徳碑

大池横にある今里傳兵衛頌徳碑

傳兵衛は古宮村の庄屋で、古宮組16ヶ村の大庄屋を兼ねていた。
承応3年(1654年)の大干ばつで危機感をつのらせ、姫路藩主に用水建設を願い出る。
新井は加古川大堰(八幡町中西条)から取水した「五ヶ井」の水をわけてもらい、播磨町古宮大池までの14キロ弱を流れる用水路。西ノ山、日岡山山麓の岩盤を削り、喜瀬川の底に水を通す「埋樋(うずみび)」等の工事をへて、明暦2年(1656年)に開通とある。

稲美町では、小学生の頃から山田川疏水、東播用水という名になじんでいる。播磨町の人々には、それが新井(しんゆ)だったのだ。
1654年という年は、八幡町の庄屋たちが加古大池の建設を姫路藩に願い出た年に近い。
江戸時代初期の人々に思いははせながら、播磨町をあとにした。(高田)

※ジョセフ・ヒコについて詳しく知りたい方は、吉村 昭『アメリカ彦蔵』(新潮文庫 2001年7月)をお読みください。


清流会稲美支部ウォーキング 「東播磨の歴史を訪ねて(第6回)」 参加者募集!

東播磨、とりわけ加印地区は印南野という名で風土記・万葉集の時代から風光明媚な場所として知られています。
せっかくその地に生まれ育ったのだから身近にある史跡や風景に親しもうと、6年前の秋、清流会稲美支部では播州葡萄園跡・葡萄園池・井澤本家等を訪ねる第1回ウォーキングを実施しました。
2回目は明石市東二見の海浜公園から海岸沿いに東へ進み、住吉神社まで歩きました。
3回目は三木市中心部にある旧玉置家住宅、三木城址、金物博物館等を訪ね、
4回目は加古川の寺家町通り、ニッケ社宅クラブ、宮本武蔵ゆかりの泊神社など、
5回目は高砂市の〝石の宝殿″で有名な生石(おうしこ)神社、特産の竜山石の採石場、宮本武蔵生誕の地などを巡りました。
それらの内容は当ホームページに掲載されていますので、ぜひご覧ください。

第6回は稲美支部の会員にとっては、同じ加古郡である播磨町の海岸に近い地域を歩きます。
しかし、あまりにも近いので、これまで通り過ぎるだけだったという人も多いはずです。
緑あふれる田園地帯の稲美町と、海に近く大きな工場や住宅街がひろがる播磨町とでは、高度成長期以後の数十年でどのように違ってきたのか。
歩いて確かめてみてはいかがでしょうか。

無理のないコース設定になっていますので、脚力が少し心配な方にも安心して参加していただけます。豊かな風土を実感してください。

 

第6回 2018年11月23日(祝)  【播磨町】ジョセフ・ヒコゆかりの寺から古宮漁港、新井(しんゆ)用水へ  

○集合・解散時間 午前9時00分~12時30分

○集 合  午前9時00分 稲美町役場駐車場(正面玄関側) 9時10分出発

○参加費  200円(資料代・保険代) ※当日、集金

○順 路  約7キロ、2時間30分(ウォーキングの時間) 40分(車往復)

稲美町役場駐車場(正面玄関側)集合 → 清水交差点 → 播磨町役場駐車場
→ 播磨町立図書館 → 蓮花寺(新聞の父、ジョセフ・ヒコ建立の〝横文字の墓″)
→ 阿閇(あえ)神社(本殿4棟が県指定文化財) →本庄下橋(喜瀬川)
→ 播磨町総合体育館 → 浜田公園(海、人口島、クルーザー係留地が見える)
→ 古宮漁港 → はりまシーサイドドーム(雨の日でも、テニス、フットサル〔子ども利用のみ〕、グランドゴルフ等が実施可能な多目的ドーム)
→ 望海公園 → 播磨南高校の正門前 → 大池(池の東南の広場に「播州加古郡新井(しんゆ)記略石碑」あり)
→ 播磨町役場駐車場 → 稲美町役場駐車場

  • 11月20日(火)までにお申し込みください。

小雨決行とさせていただきます。

天候急変の可能性もあり、雨具をご用意ください。

飲物等は各自でご用意ください。

  • 参加申込・お問い合わせ先 080-1482-3381 高田道夫(稲美支部副支部長)

 

【参考】
新井(しんゆ)開削の父、今里傳兵衛
傳兵衛は古宮組16ヶ村の大庄屋で古宮村の庄屋を兼ねていた。
承応3年(1654年)の大干ばつで危機感をつのらせ、姫路藩主に用水建設を願い出る。
新井は加古川大堰(八幡町中西条)から取水した「五ヶ井」の水をわけてもらい、
播磨町古宮大池までの14キロ弱を流れる用水路。西ノ山、日岡山山麓の岩盤を削り、
喜瀬川の底に水を通す「埋樋(うずみび)」等の工事をへて、明暦2年(1656)開通。
上記石碑の裏面に、用水の恩恵を受けた地域の図(石板)がある。

新聞の父、ジョセフ・ヒコ
ジョセフ・ヒコ(幼名:彦太郎、のち浜田彦蔵)は、1837年(天保8年)に播磨国加古郡古宮村に生まれた。
幼い頃から、船乗りに憧れ、13歳で江戸に行った帰りに船が難破し、太平洋を漂流。
53日目にアメリカ船に救助され、サンフランシスコへ。
同地で起業家にして税関長の秘書となり、洗礼を受け、ジョセフ・ヒコと改名。
さらに、日本人として初めてアメリカ市民権を得る。
1859年(安政6年)、9年ぶりに帰国し、アメリカ領事館の通訳として働く。
しかし、幕末の世相に身の危険を感じて再び渡米。リンカーン大統領と会見する機会に恵まれた。
1862年(文久2年)、再度、故国で働く決意をして帰国。
領事館で働きながら、外国の事情を日本に紹介したいと考え、新聞発行の準備をする。
やがて独立し、1864年(元治元年)、日本で初めて新聞(名称は「新聞誌」)を発行。
1870年(明治3年)、郷里訪問時に両親の墓を注文し、翌年、蓮華寺にて除幕式を行う。
裏面に英文が刻まれているため、「横文字の墓」と呼ばれた。
1897年(明治30年)、60歳で亡くなり、波乱に満ちた生涯を閉じた。東京・青山の外人墓地に墓がある。


船江恒平六段杯 稲美野将棋大会 11/18(日)

船江恒平六段杯が稲美町で開催されます。

 

日 時 平成30年11月18日(日)9:30~

場 所 稲美町立コミュニティセンター

参加費 小学生500円 大人1,500円 中高生、女性、シニア(70以上)1,000円

 

 

■船江恒平(高58回)略歴

船江恒平(ふなえ こうへい1987年4月27日-)は、将棋棋士。井上慶太九段門下。棋士番号は281。兵庫県加古川市出身。兵庫県立加古川東高等学校卒。祖父に教えられて5歳で将棋を始める。1998年加古川市立東神吉南小学校5年の時、第23回小学生将棋名人戦で準優勝。1998年6級で奨励会入り。2010年10月四段昇段プロデビュー。2011年第70期順位戦では初参加にしてC級2組で10戦全勝の成績を修め、C級1組昇級及び五段昇段を決めた。2011年に創設された加古川青流戦で優勝、地元主催の棋戦の初代優勝者となった。2016年新設された若手対象のプロ公式戦「第1回上州YAMADAチャレンジ杯」で優勝。2016年12月28日五段昇段から勝ち星120勝で六段昇段。

 

Q.なぜ船江六段杯を?

船江さんが2010年四段昇段でプロになった時に、高23回福田薫さんが「船江恒平杯」将棋大会をやろうかと声をかけました。「せめて六段になってから」という返事。そして六段昇段を待ち、2017年11月5日第1回船江恒平六段杯稲美野将棋大会を開催。

 

Q.なぜ稲美町で?

2004年、第1回東播磨ハートランド稲美万葉杯将棋大会を審判長に井上慶太九段を迎えて開催。以降第7回まで井上九段に審判長として来ていただきました。2011年第8回大会から審判長を弟子の船江五段(当時)に譲り2016年まで船江さんが審判長に。このような経緯があり、満を持して2017年11月に冠大会、第1回船江恒平六段杯稲美野将棋大会開催。遠くは鳥取、徳島からも参加がありました。多くの清流会からの参加をお願いします。


【お知らせ】第30回清流会稲美支部総会について

清流会稲美支部の皆様こんにちは。
今回は毎年年一回開催されます清流会稲美支部総会のお知らせです。
お忙しいところ申し訳ありませんが、ご参加よろしくお願い致します。

日時:平成30年7月1日(日)午前10時~
場所:稲美町立コミュニティーセンター(稲美町役場4階)
総会:10時~ 講演会:11時~ 懇親会:12時15分~
会費:一般会員 5,000円 役員 8,000円

講師:大西奉文氏 大西メディカルクリニック院長(高校26回生)
演題:『生涯現役 ~ガンの早期発見と寝たきり予防のために~』


清流会稲美支部 第5回ウォーキング 日本三奇「石の宝殿」から宮本武蔵生誕の地へ(高砂市)

稲美支部のウォーキングも5回目となる。
平成29年11月23日(祝)は期待通り、好天に恵まれた。風もほとんどなく、昨年の厳しい天候と大違いである。
稲美町を出発した車は、県立加古川医療センターランプから東播磨自動車道に入り、加古川中央JCTを経て国道2号線を西へ向かい、高砂北ランプ(阿弥陀町魚橋)で降りる。

旧街道沿いの町中をしばらく行くと、最初の目的地・正蓮寺の山門が見えてきた。駐車場がないので、寺の裏手に回りこんでとめる場所をみつける。
そこから民家の間を歩いて、寺の正面へ。ここに、作曲家・佐々木すぐる(1892~1966)の顕彰碑がある。
灰白色の巨石(おそらく地元産の竜山石)に、森繁久彌の筆による「月の沙漠 童謡作曲家 佐々木すぐる先生 生育の地」の文字を刻んだ黒い石がはめ込まれている。
彼はこの地に生まれ、姫路師範学校を卒業して郷里の小学校に勤めていたが、作曲家を志して上京し、東京音楽学校を卒業。
生涯に童謡等、約2000曲を作曲したが、「月の沙漠」や「お山の杉の子」は有名。
とくに「月の沙漠」は童謡に分類されてはいるが、人生後半を生きるウォーキング参加者には、胸にしみいる曲ではないだろうか。
そのようなことを考えつつ、記念撮影。

正蓮寺の山門にて

佐々木すぐる顕彰碑(書:森繁久彌)をバックにして

次に高砂市総合運動公園で駐車。ここから本格的なウォーキングになる。
公園横を流れる法華山谷川を渡ると、すぐに急な石段がある。全員、真剣な表情で黙々と登る。

急な石段を真剣に登る(生石神社)

生石(おうしこ)神社の建物があり、参拝料を払って通り抜けると「石の宝殿」である。
神社の御神体として知られ、日本三奇の一つ。
ちなみに、他の二つは天之逆鉾(あまのさかほこ:宮崎県高原町、高千穂峰山頂)と、四口の神竃(よんくのしんかま:宮城県塩釜市、御釜神社)である。
『播磨風土記』に「々(はら)の南に作石有り。形、屋のごとし。長さ二丈(つゑ)、広さ一丈五尺、高さもかくの如し。名号(なづ)けて大石と曰ひき」という記述がある。
今でも、圧倒されるような迫力だから、編纂された奈良時代初期にはさぞやと思われる。
途方もなく巨大な石棺が水に浮いているかのような光景に、ここは初めてという参加者は大いに驚く。

上から眺めた「石の宝殿」(日本三奇の一つ)

その後、巨岩の横の岩肌を登り、上から眺める。
旧式のテレビ受像機のような形状に、古代人の造形力のユニークさ、この地にいた豪族の権力の大きさが偲ばれる。
山頂から、近くには竜山石の採石場や高御位山がくっきりと、遠くには稲美町方面が霞んでみえた。

稲美町はあの方向でしょうか?

生石神社前の自動車道を南にたどる。
途中、迫力満点の採石場があった。現在は資材置き場になっている。
竜山石は上品で素朴な味わいのある石で、宝殿石とも呼ばれる。
約9000万年前に形成された凝灰岩で、建築資材としてすぐれているらしい。
古墳時代から現代まで約1700年間採石が続けられ、国内各地で使用されている。
主な使用場所は姫路城・明石城の石垣、皇居吹上御苑、国会議事堂、帝国ホテル、住友銀行本店ビル、県立神戸高校の玄関等。
採石場は「石の宝殿」とともに平成26年に国史跡(文部科学省)に指定された。

竜山石(たつやまいし)の採石場跡をバックにして
 

国道250号線の手前で自動車道を東に折れると、住宅街の奥に加茂御祖神社がある。
そこから、観濤処(かんとうしょ)に向かう階段がある。
高砂市のハイキング案内にも、天保時代から海を眺める名所であったと記されている。
期待して登り始めたが、右に左にコンクリート階段が続き、すぐに参加者のほとんどがギブアップ。ウォーキング企画者と足に自信があるM氏の“精鋭2名”のみがアタック。
山頂付近の岩崖に「観濤処」と巨大な文字が刻まれていた。
高砂の市街地を一望する光景は、小学生の写生場所なっているらしく、児童たちの絵をプリントしたパネルが立っていた。
ウォーキング参加者にはハードルが高すぎたようである。二人が神社まで戻ると、参加者は腰かけて休憩中。
「実は下見に来た時、夕方だったので階段は登らなかったのです。これほどまでとは・・・」と企画者は大いに反省。

海を眺める名所「観濤処(かんとうしょ)」(天保時代、姫路藩の刻印)

次の目的地は宮本武蔵ゆかりの場所。
新しい高砂市立図書館の横を通り、県道43号線を北上。道路際の民家の庭に、幹囲数メートルはあろうかと思われるクスノキの巨樹がある。樹齢700年ともいわれ、当地(米田町)に生まれた少年・宮本武蔵(当時は田原姓)が登った頃でも樹齢270年の大木であった。

武蔵少年も登った?大クスノキ

しばらく歩くと、武蔵の出生地である田原家屋敷跡の石碑があった。
古い家並みが続く米田の“村中”を通り抜けると、米田天神社の前に出る。
武蔵の養子・宮本伊織が再建した神社で、境内横に「宮本武蔵・伊織生誕之地」と彫られた巨大な石碑がある。
吉川英治の小説によって、美作(岡山県)が武蔵の出身地として有名になってしまったが、本当は播磨(高砂市米田町)であるとする地元の方々の熱い思いが伝わってくる。
神社近くの西光寺の境内には宮本武蔵・伊織の銅像、西桂氏設計の「五輪の庭」がある。ウォーキングの最終目的地であり、参加者も疲れてきたが、ご住職の思いはひしひしと感じられた。
なお、女優、山本富士子さん(大阪市西区立売堀出身)の実家・山本家が、代々米田に居住されており、この西光寺には縁者の方々の墓碑や寄進物などがあるらしい。

地元の方々の熱意の結晶「宮本武蔵・伊織生誕之地」石碑(書:細川護貞)

すべての目的地をまわり、高砂市立総合運動公園に戻ってきた。
南東側から公園に入ると木々が美しく紅葉している。抜けるような青空を、ジェット機が白い線を残しつつ西に向かっていた。
少しハードな場所もあったが、楽しく話をしながら歩くことができた。
後は車で稲美町に戻るだけ。
では、また来年、ウォーキングで会いましょう。(髙田)

※宮本武蔵については、魚住孝至氏(清流会24回生)の著作をご参照ください。

魚住孝至『宮本武蔵 日本人の道』(ぺりかん社 2002年12月)

魚住孝至『宮本武蔵―「兵法の道」を生きる』(岩波新書 2008年12月)

魚住孝至編『宮本武蔵「五輪書」ビギナーズ日本の思想』

(角川ソフィア文庫 2012年12月)


清流会稲美支部ウォーキング 「東播磨の歴史を訪ねて(第5回)」 参加者募集!

東播磨、とりわけ加印地区は印南野という名で風土記・万葉集の時代から風光明媚な場所として知られています。
せっかくその地に生まれ育ったのだから身近にある史跡や風景に親しもうと、四年前の秋、清流会稲美支部では
播州葡萄園跡・葡萄園池・井澤本家等を訪ねる第1回ウォーキングを実施しました。
2回目は明石市東二見の海浜公園から海岸沿いに東へ進み、住吉神社まで歩きました。
3回目は三木市中心部にある旧玉置家住宅、三木城址、金物博物館等を訪ね、昨年は加古川の寺家町通りからニッケ社宅クラブ、
加古川図書館から宮本武蔵ゆかりの泊神社まで歩きました。
それらの内容は稲美支部ホームページに掲載されていますので、ぜひご覧ください。

第5回目は稲美支部の会員にとっては、やや馴染みのうすい高砂市北部を歩きます。
まずは車で魚橋の正蓮寺へ。「月の砂漠」等で有名な作曲家・佐々木すぐるはその近くで生まれ、
境内に森繁久彌による顕彰碑が建立されています。
見学後、高砂市総合運動公園に駐車場し、徒歩で生石(おうしこ)神社・石の宝殿に向かいます。
播磨風土記にも記載されている巨石は、何度みても謎めいています。その岩山の南部には竜山石(たつやまいし)の採石場が広がっています。
宮本伊織が再建した米田天神社の横にある巨大石碑や、幼い武蔵が登ったかもしれない大クスノキ(樹齢700年)には驚かれることでしょう。

無理のないコース設定になっていますので、脚力が少し心配な方にも安心して参加していただけます。豊かな風土を実感してください。

 

第5回 2017年11月23日(祝)  【高砂市】 日本三奇「石の宝殿」から宮本武蔵生誕の地へ

○集合・解散時間 午前9時00分~13時00分

○集合場所 稲美町役場駐車場(正面玄関側)

○参加費  200円(資料代・保険代) ※当日、集めます。

○順 路  約7キロ、2時間30分(ウォーキングの時間)

稲美中央公園→(車で移動)→国道2号線バイパス高砂北ランプを降りる→正連寺(佐々木すぐる:「月の砂漠」等作曲者の顕彰碑)
→車→高砂市総合運動公園駐車場→徒歩→生石(おうしこ)神社・石の宝殿→竜山石(たつやまいし)採石場〔松下石材店〕
→西光寺(宮本武蔵・伊織の銅像、「五輪の庭」)→米田天神社(宮本伊織が再建、境内横に巨大石碑「宮本武蔵・伊織生誕之地」)
→西谷酒造の大クスノキ(樹齢700年)→田原家屋敷跡(宮本武蔵の出生地)の石碑→高砂市総合運動公園駐車場
→車に分乗→稲美中央公園駐車場:解散

  • 11月20日(月)までにお申し込みください。

小雨決行とさせていただきます。

天候急変の可能性もあり、雨具をご用意ください。

飲物等は各自でご用意ください。

  • 参加申込・お問い合わせ先 080-1482-3381 高田道夫(稲美支部副支部長)

【参考】

石の宝殿  日本三奇の一つ。生石神社の御神体として知られる。

他は天之逆鉾(あまのさかほこ:宮崎県高原町、高千穂峰山頂)

四口の神竃(よんくのしんかま:宮城県塩釜市、御釜神社)

『播磨風土記』に記述あり。「々(はら)の南に作石有り。形、屋のごとし。長さ二丈(つゑ)、広さ一丈五尺、高さもかくの如し。名号(なづ)けて大石と曰ひき」

竜山石  上品で素朴な味わいのある石。宝殿石とも呼ばれる。約9000万年前に形成された凝灰岩で建築資材としてすぐれている。

古墳時代から現代まで約1700年間採石が続けられ、国内各地で使用されている。竜山の採石場は「石の宝殿」とともに平成26年に国史跡(文部科学省)に指定された。

※主な使用場所 姫路城・明石城の石垣、皇居吹上御苑、国会議事堂、帝国ホテル、住友銀行本店ビル、県立神戸高校の玄関


【お知らせ】第29回清流会稲美支部総会について

清流会稲美支部の皆様こんにちは。 今回は毎年年一回開催されます清流会稲美支部総会のお知らせです。 お忙しいところ申し訳ありませんが、ご参加よろしくお願い致します。

日時:平成29年5月7日(日)午前10時~
場所:稲美町立コミュニティーセンター(稲美町役場4階)
総会:10時~ 講演会:11時~ 懇親会:12時15分~

講師:北川寿一氏(高41回) 稲美町役場 危機管理課
演題:『大震災から6年 被災地は復興しているのか』