東高OG・OBの皆様、こんにちは。
「会いたい先輩」です。
今年の総会の席で、昔ソース作りをされていたとわかり、北川寿一(高41)さんとの対談が実現しました。
【ソース作りとの出会い】
北川 : ソースを昔作られていたって聞いて、お話を伺いたいと思ったんですよね。
藤田 : 神戸新聞にオリバーソースの記事が連載されているでしょ。
北川 : 知ってます。
藤田 : これですね。(スクラップしているのを見せて頂いた)
※参考記事:朝日新聞『阪神・淡路大震災とその後のデフレ不況を生き抜いてきた経営トップへのインタビュー連載企画「明日を拓(ひら)く」。シリーズ第3部、「とんかつソース」を世に出したオリバーソースで3代目社長を務める道満雅彦さん』2014年8月14日~連載
北川 : 日本には昔ウスターソースしかなかったのを、オリバーソースがどろっとしたとんかつソースを出したんですよね。
藤田 : この人のお父さんが、俊彦さん。
北川 : この人のお父さんと藤田さんのお父さんが繋がりがあったって言うことですか。
藤田 : 僕も一緒に行ったことがあってね。震災前は兵庫区松本通にあって、今はポートアイランドに移転したのかな。
北川 : 一番知りたかったのは、なぜ藤田さんがこの稲美町草谷の地でね、ソース作りを始めたかという、そのきっかけは何だったんですか。
藤田 : きっかけはね。親父が、荒内にあった酢屋の支店として神戸に出ていたからなんですね。
北川 : そもそも酢の原材料ってなんやろって考えた時に、お米なんですかね。
藤田 : お米ですね。お米を麹にして、アルコール発酵して、アルコール発酵したものの中に酢酸菌を入れたら酢が出来るんです。
北川 : 化学の世界では、でんぷん→糖→アルコール→アセトアルデヒド→酢酸になるんですよね。元をたどっていったら、でんぷんの元はお米だから、この時点で6次産業が出来ているというわけですね。
藤田 : 日本にあった酢はね、国内で作ってるのと、中東から入るのとがあったんですよ。この辺は酒屋が多かったから、酒粕を原料にして、そこにアルコールを添加して、それを培地にして酢酸発酵させて酢を作っていた。その支店として親父が神戸の新開地に神戸支店を出してハワイへ輸出してたんです。
北川 : その時代から世界へ展開してたって、すごいですね。
藤田 : 戦前かな。親父が行ったのが、昭和16年くらいとちがうかな。
北川 : 稲美町すごいですね。海外と貿易してますね。ハワイに行くって言うのは、ハワイにいる日本人が酢を求めてたっていう背景もあるんですか?
藤田 : そうちがうかな。それと、船員の食事の調味料に使ってたんとちがうかな。でも、戦争で帰って来ないといけなくなって、こちらに引っ越したんやけど、こちらでは母屋があるから調味料として酢は売られへんから、なにしようかと。その時に、しょうゆをしようと思ったけど、しょうゆ屋は野谷の魚住さん(現存していない)があるし、うちの親戚になるんちがうかな。
北川 : 野谷から草谷って、ほんとに調味料のすごい道やね。なんとかロードって名づけられるくらい。しょうゆ、お酒、みりん、ソースでね。
藤田 : なにしようかっていうて、トマトもあるし、じゃあソースを作ろうってね。うちね、トマトを原料にしてたから、いろんなところから買ってたのよ。上野谷の小佐さんとこからトマト買って、うちでピューレにしてたんよ。
北川 : ソースの酸っぱい感じは、トマトのすっぱさなんですか?
藤田 : いやそうでもないよ。トマトは少しは酸っぱいけど、甘味もあるし。
北川 : ウスターソースって、ちょっと酢の味しないですか?
藤田 : あれは酢入れるもん。
北川 : 酢入れてるんですか(笑)。
そやから1次産業の農業があって、その生産物を使うという発想が昔からあったわけですよ。6次産業なんて全然珍しいことじゃない。
藤田 : うちは、にんにく作ってたもんね。玉ねぎ・にんにくは原料に入れるから。夏の今頃は、1年間分の原料を缶詰にして貯蔵しておかなあかんかったからね。
北川 : 1斗缶で缶詰しとったってことですよね。1斗缶、18リットルですか。
藤田 : 18キロかな。
北川 : 家で作ってたら、トマトを人にあげられるのなんて3割ぐらいでしょ。はじけてしまったり、虫食べて汚いから、そんなのは家で食べるけど、人にあげよう思ったらたらね。ロスが多いんですよね。
藤田 : トマトなんかは、加工原料にしたら売れると思うもんね。ピューレみたいにね。
北川 : 缶詰にするって、例えば、生のトマトなんてせいぜい持って2~3日くらいでしょ。18リットルの1斗缶にして熱加えて殺菌全部したら1年くらいもちますよね。
藤田 : 1年以上もつな。
つづく…
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