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清流会稲美支部 第3回ウォーキング「湯の山街道の町並みと三木城址」(三木市)

やや雲があるものの、風もなく穏やかな日差しの平成27年11月23日(祝)、清流会稲美支部の第3回ウォーキングが開催された。稲美中央公園に集まった参加者には、第1回の「播州葡萄園跡と葡萄園池を訪ねて」、第2回の「東二見から住吉神社への遊歩道」の経験者も多く、和気あいあいのスタートになった。

車に分乗して出発し、9時半すぎに三木市役所前の駐車場に到着。参考資料の配布、本日のコース、見どころについての説明があった。

まず、最初に訪問したのは雲龍寺。
雲龍寺にて説明板を読む

三木城攻めに対して籠城し、最後に自刃した別所長治公夫妻の首を住職が埋葬したと伝えられる首塚がある。
別所長治公夫妻の首塚

次はすぐ隣にある大宮八幡宮。秋祭りで何台もの大きな屋台(約2トン)が、85段の石段を上り降りする光景はBANBANテレビでも有名。「こんな急な石段を!」と感心しながら降りる。静かな住宅街に旧小河家別邸(明治末期の別荘、国登録有形文化財)があったが、土・日のみ開館なので、屋敷の周囲を歩いて大きさを実感。
旧小河家別邸の長い塀

旧175号線をこえると三木鉄道ふれあい館。かつての国鉄三木駅の駅舎を利用し、市民の交流の場になっている。野菜や弁当なども販売。「高校生の頃、厄神駅からここまで乗った」という人あり。北に向かうと湯の山街道。三木合戦の際、秀吉の命で有馬温泉の湯を汲んできて、野風呂で傷ついた兵を療養させたのでこの名がついたとのこと。金物問屋など歴史を感じさせる民家が軒をつらねている。
湯の山街道にある古い町並み 道標「右ひめじ道 左あかし道」

旧玉置家住宅(国登録有形文化財)は文政9年(1826年)に館林藩(群馬県)の切手会所として建てられ、母屋2棟と土蔵が残っている。美嚢川(みのがわ)を望む二階の座敷からは、明治以降に住んだ風流な富豪の生活が偲ばれた。説明ボランティアの人が数人待機しておられる。わが稲美支部には歴史好きが複数いて質問を連発。そのため、三十分以上も案内していただいた。
旧玉置家の座敷(展示会などを開催) 旧玉置家中庭でボランティアの方の説明を聞く 旧玉置家の裏庭。美嚢川(みのがわ)をバックに説明を聞く

やがて、湯の山街道は滑原(なめら)商店街になる。人通りこそあまりないが、衣料品店、果物店などが懐かしい雰囲気を醸し出している。急な階段を上ると三木城址。
三木城址にある合戦絵図

市街地を見渡せる高台に長治公の辞世「今はただうらみもあらじ諸人(もろびと)のいのちにかはる我身とおもへば」の歌碑がある。
三木城址高台から市街地を眺める

隣接する三木市立金物博物館は、時間の関係で、玄関前の石碑から流れる唱歌「村のかじや」のメロディを聞いただけ。もったいないが、各自で機会をみつけて・・・となった。数分後に市役所に到着。

「稲美町の隣に三木市があるのはわかっていて、三木合戦のことも知ってはいたが、実際に三木の街を歩いたのは初めて」、「歴史を大切にして、観光資源にしていることがよくわかった」などの感想をいただいた。それらの声をエネルギーにして、次回のウォーキング企画(加古川市あるいは高砂市)を練っていきたい。

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