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東北の復興1

東高OG・OBの皆様、こんにちは。

「会いたい先輩・輝く先輩」です。

広報いなみ9月号に、宮城県山元町の齋藤俊夫町長が稲美町長を表敬訪問された記事が掲載されていたことをご存知ですか?
稲美町では、2011年3月に発生した東日本大震災の復興支援のために職員を派遣しています。

現在、北川寿一(高41)さんが山元町に派遣されております。
現地の様子を入手できましたので数回に分けて掲載させていただきます。

 

~はじめに~

2016年4月、兵庫から宮城にやってきました。復興支援という形での自治体間の応援です。住まいは柴田町、仙台へは車でぶっとばして30分、電車では最寄駅から30分です。兵庫での稲美町と三宮の距離感に似ています。

さて、着任早々、福島第1原子力発電所に最接近してみました。国道6号線を南下すると「2輪通行不可」の電光掲示板が目立つようになり、過去の津波浸水区域という看板が数km毎に立っています。沿岸部の光景はどこも同じで、高さ7m程の防潮堤の工事や農地の圃場整備などの復興・復旧関連の公共工事で重機と10t車が勢いよく動いています。日曜だけは静かなものです。

ここには、全国から集まってきた労働者の男くさい雰囲気を感じ取れ、コンビニは大繁盛、いたるところに単身赴任用のレオパレスのような建物があります。

先日、テレビで東北6県のうち、宮城県だけが人口減少していないという報道があったことが理解できます。一時的に増えているだけなのでしょう。

6月中旬、宮城県最南端の山元町から最北端の気仙沼市を1日かけて下道で往復しました。

見た重機は数百台。オペレータ、現場監督、事務員、工事発注者を含めると復興にかかる残り数年の一時的な労働者の人口は結構な数になります。

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漁港の工事

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台風10号後の農地

 


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