稲美支部のウォーキングも5回目となる。 平成29年11月23日(祝)は期待通り、好天に恵まれた。風もほとんどなく、昨年の厳しい天候と大違いである。 稲美町を出発した車は、県立加古川医療センターランプから東播磨自動車道に入り、加古川中央JCTを経て国道2号線を西へ向かい、高砂北ランプ(阿弥陀町魚橋)で降りる。
旧街道沿いの町中をしばらく行くと、最初の目的地・正蓮寺の山門が見えてきた。駐車場がないので、寺の裏手に回りこんでとめる場所をみつける。 そこから民家の間を歩いて、寺の正面へ。ここに、作曲家・佐々木すぐる(1892~1966)の顕彰碑がある。 灰白色の巨石(おそらく地元産の竜山石)に、森繁久彌の筆による「月の沙漠 童謡作曲家 佐々木すぐる先生 生育の地」の文字を刻んだ黒い石がはめ込まれている。 彼はこの地に生まれ、姫路師範学校を卒業して郷里の小学校に勤めていたが、作曲家を志して上京し、東京音楽学校を卒業。 生涯に童謡等、約2000曲を作曲したが、「月の沙漠」や「お山の杉の子」は有名。 とくに「月の沙漠」は童謡に分類されてはいるが、人生後半を生きるウォーキング参加者には、胸にしみいる曲ではないだろうか。 そのようなことを考えつつ、記念撮影。
正蓮寺の山門にて
佐々木すぐる顕彰碑(書:森繁久彌)をバックにして
次に高砂市総合運動公園で駐車。ここから本格的なウォーキングになる。 公園横を流れる法華山谷川を渡ると、すぐに急な石段がある。全員、真剣な表情で黙々と登る。
急な石段を真剣に登る(生石神社)
生石(おうしこ)神社の建物があり、参拝料を払って通り抜けると「石の宝殿」である。 神社の御神体として知られ、日本三奇の一つ。 ちなみに、他の二つは天之逆鉾(あまのさかほこ:宮崎県高原町、高千穂峰山頂)と、四口の神竃(よんくのしんかま:宮城県塩釜市、御釜神社)である。 『播磨風土記』に「々(はら)の南に作石有り。形、屋のごとし。長さ二丈(つゑ)、広さ一丈五尺、高さもかくの如し。名号(なづ)けて大石と曰ひき」という記述がある。 今でも、圧倒されるような迫力だから、編纂された奈良時代初期にはさぞやと思われる。 途方もなく巨大な石棺が水に浮いているかのような光景に、ここは初めてという参加者は大いに驚く。
上から眺めた「石の宝殿」(日本三奇の一つ)
その後、巨岩の横の岩肌を登り、上から眺める。 旧式のテレビ受像機のような形状に、古代人の造形力のユニークさ、この地にいた豪族の権力の大きさが偲ばれる。 山頂から、近くには竜山石の採石場や高御位山がくっきりと、遠くには稲美町方面が霞んでみえた。
稲美町はあの方向でしょうか?
生石神社前の自動車道を南にたどる。 途中、迫力満点の採石場があった。現在は資材置き場になっている。 竜山石は上品で素朴な味わいのある石で、宝殿石とも呼ばれる。 約9000万年前に形成された凝灰岩で、建築資材としてすぐれているらしい。 古墳時代から現代まで約1700年間採石が続けられ、国内各地で使用されている。 主な使用場所は姫路城・明石城の石垣、皇居吹上御苑、国会議事堂、帝国ホテル、住友銀行本店ビル、県立神戸高校の玄関等。 採石場は「石の宝殿」とともに平成26年に国史跡(文部科学省)に指定された。
竜山石(たつやまいし)の採石場跡をバックにして
国道250号線の手前で自動車道を東に折れると、住宅街の奥に加茂御祖神社がある。 そこから、観濤処(かんとうしょ)に向かう階段がある。 高砂市のハイキング案内にも、天保時代から海を眺める名所であったと記されている。 期待して登り始めたが、右に左にコンクリート階段が続き、すぐに参加者のほとんどがギブアップ。ウォーキング企画者と足に自信があるM氏の“精鋭2名”のみがアタック。 山頂付近の岩崖に「観濤処」と巨大な文字が刻まれていた。 高砂の市街地を一望する光景は、小学生の写生場所なっているらしく、児童たちの絵をプリントしたパネルが立っていた。 ウォーキング参加者にはハードルが高すぎたようである。二人が神社まで戻ると、参加者は腰かけて休憩中。 「実は下見に来た時、夕方だったので階段は登らなかったのです。これほどまでとは・・・」と企画者は大いに反省。
海を眺める名所「観濤処(かんとうしょ)」(天保時代、姫路藩の刻印)
次の目的地は宮本武蔵ゆかりの場所。 新しい高砂市立図書館の横を通り、県道43号線を北上。道路際の民家の庭に、幹囲数メートルはあろうかと思われるクスノキの巨樹がある。樹齢700年ともいわれ、当地(米田町)に生まれた少年・宮本武蔵(当時は田原姓)が登った頃でも樹齢270年の大木であった。
武蔵少年も登った?大クスノキ
しばらく歩くと、武蔵の出生地である田原家屋敷跡の石碑があった。 […]
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