稲美支部のウォーキング実施日は11月23日(祝)と決められている。 予定が立てやすいこと、好天に恵まれる可能性が高いこと等が理由である。
第1回「播州葡萄園跡と葡萄園池を訪ねて」、第2回「東二見から住吉神社への遊歩道」、第3回「湯の山街道の町並みと三木城址」については、すべて穏やかな日差しの中、楽しい時間を過ごすことができた。
ところが、この度の平成28年(2016年)11月23日は寒い風が吹き、雨こそ降らないものの厳しい空模様となった。 参加者は不安な面持ちで稲美中央公園駐車場に集合。 ところが、参加者数は従来の倍近くになり、女性も三割を超える活況となった。 集団パワーで寒さを吹き飛ばそうと車に分乗し、加古川にむかって出発。
市内中心部に駐車した後、まずは駅前通りへ。 最初の目的地は8月に竣工したばかりの再開発複合施設「ブランズ加古川駅前」(寺家町周辺地区防災街区整備事業)である。 通りに面した商店や、その奥に密集していた古い飲食店等は姿を消し、マンション棟・介護付有料老人ホーム棟・駐車場棟が威容を誇っている。 従来のショッピングセンターのような施設を予想していた人は静かな佇まいに驚く。かつて繁栄したこの地区も新しい役割を担えるように変身を遂げたのだろう。 「かさよし」(うどん店)がなくなっている。「再開発ビルが完成したら、食べにこようと思っていたのに!」と残念がる人もいた。
寺家町通りを一路西へ歩く。 たちばな呉服店、ハトヤ(カバン・靴)、松原屋洋品店、ベル(婦人服)、ライオン屋(靴・カバン)、田中紙文具店など懐かしい店の名前に、何十年ぶりかの再会を喜ぶ声があがる。 交差点角にある丸万は営業中だった。うどん・親子丼・かつめし等、懐かしいメニューが健在。
寺家町通り 丸万(うどん・そば)の店先にて
さらに進むと「昭和」の雰囲気が一層濃くなる。人通りも少なくなり、「高校時代もこのあたりまでは来なかったなぁ」との声あり。 ひだり屋(化粧品・髪飾り小物)や亀屋菓子舗、陣屋(五月人形・鯉のぼり・雛人形)など開いている店にエールを送りたくなった。
寺家町通り亀屋菓子舗前にて
人形店の横に門があり、奥にかつての姫路藩の加古川役所「陣屋」(山脇邸、市指定文化財)があることを示す看板が立っている。 宝暦2年(1752年)に設置され、西国街道を行きかう大名たちの応接の役割を担ったという。
やがてアーケードがなくなり、普通の民家が増えてくる。
アーケードのない寺家町通りの最西端部にて
次は神田家洋館(国登録文化財)である。ふだんは閉館しており、見学をお願いするために国道2号線に面した神田陶器商店に向かう。
あらかじめ連絡していたので、清流会の先輩・神田洋子さん(高12回)がにこやかに迎えてくださった。 われらが稲美支部の西川支部長と同期の方である。
しばらく、陶磁器・銅オブジェ・ステンドグラス・ランプ・ガラスアクセサリーが所狭しに並んだ店内を見学。 洋館(鉄筋コンクリート造)に戻ると、まずは地下室からは見学。 ランプや銅の置物が不思議な雰囲気を醸し出している。ここでコンサートも行われるらしい。 1階は洋式の窓に床の間という和洋折衷の部屋。 この洋館は、瀬戸物商を営んでいた神田家が応接室兼倉庫として建てたもので、大正期の繁栄と心意気が偲ばれる。 加古川にまだ高い建物がほとんどなかった頃、四階(現在は二階建)から海が見えたという。 「ぜひ、二階も」と神田さんに勧められたが、時間の都合により、みんなで記念写真を撮って次の目的地に出発。
神田家住宅の前で記念撮影
トンネル(初通行という参加者多し)を利用して国道2号線の南側に行くと、広大な敷地に日毛社宅群がある。 二階の窓こそアルミサッシになっているが、木造建築の集合住宅、長い板塀からは懐かしい「昭和」の香りが漂ってくる。
昭和の雰囲気を伝える広大な社宅群にて
映画「少年H」(Hの父母役は水谷豊・伊藤蘭)のロケ地になったことについて大いに納得。 社宅の一角にニッケ社宅クラブがある。明治32年、日本毛織初の工場として加古川工場が操業を開始した際、欧米から招いた技師たちのために建てられたもので、加古川に現存する唯一の異人館である。
加古川唯一の異人館であるニッケ社宅倶楽部
社宅群に思いを残しつつ、称名寺に向かう。 ここは秀吉が毛利攻めのために招集し、三木城籠城戦の発端となる加古川評定が行われた場所。 当時のことを知っているかもしれない境内のイチョウの大樹をバックにして記念撮影。
称名寺の大イチョウ前にて記念撮影
さらに東に向かうと加古川図書館(兵庫県景観形成重要建造物)がある。
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