清流会稲美支部の皆様こんにちは。 今回は毎年年一回開催されます清流会稲美支部総会のお知らせです。 お忙しいところ申し訳ありませんが、ご参加よろしくお願い致します。
日時:平成29年5月7日(日)午前10時~
場所:稲美町立コミュニティーセンター(稲美町役場4階)
総会:10時~ 講演会:11時~ 懇親会:12時15分~
講師:北川寿一氏(高41回) 稲美町役場 危機管理課
演題:『大震災から6年 被災地は復興しているのか』
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清流会稲美支部の皆様こんにちは。 今回は毎年年一回開催されます清流会稲美支部総会のお知らせです。 お忙しいところ申し訳ありませんが、ご参加よろしくお願い致します。 日時:平成29年5月7日(日)午前10時~ 講師:北川寿一氏(高41回) 稲美町役場 危機管理課 稲美支部のウォーキング実施日は11月23日(祝)と決められている。 第1回「播州葡萄園跡と葡萄園池を訪ねて」、第2回「東二見から住吉神社への遊歩道」、第3回「湯の山街道の町並みと三木城址」については、すべて穏やかな日差しの中、楽しい時間を過ごすことができた。 ところが、この度の平成28年(2016年)11月23日は寒い風が吹き、雨こそ降らないものの厳しい空模様となった。 市内中心部に駐車した後、まずは駅前通りへ。 寺家町通りを一路西へ歩く。 寺家町通り 丸万(うどん・そば)の店先にて さらに進むと「昭和」の雰囲気が一層濃くなる。人通りも少なくなり、「高校時代もこのあたりまでは来なかったなぁ」との声あり。 寺家町通り亀屋菓子舗前にて 人形店の横に門があり、奥にかつての姫路藩の加古川役所「陣屋」(山脇邸、市指定文化財)があることを示す看板が立っている。 やがてアーケードがなくなり、普通の民家が増えてくる。 アーケードのない寺家町通りの最西端部にて 次は神田家洋館(国登録文化財)である。ふだんは閉館しており、見学をお願いするために国道2号線に面した神田陶器商店に向かう。 あらかじめ連絡していたので、清流会の先輩・神田洋子さん(高12回)がにこやかに迎えてくださった。 しばらく、陶磁器・銅オブジェ・ステンドグラス・ランプ・ガラスアクセサリーが所狭しに並んだ店内を見学。 神田家住宅の前で記念撮影 トンネル(初通行という参加者多し)を利用して国道2号線の南側に行くと、広大な敷地に日毛社宅群がある。 昭和の雰囲気を伝える広大な社宅群にて 映画「少年H」(Hの父母役は水谷豊・伊藤蘭)のロケ地になったことについて大いに納得。 加古川唯一の異人館であるニッケ社宅倶楽部 社宅群に思いを残しつつ、称名寺に向かう。 称名寺の大イチョウ前にて記念撮影 さらに東に向かうと加古川図書館(兵庫県景観形成重要建造物)がある。 重厚かつ華麗な加古川図書館 昭和10年に加古川町公会堂として建てられ、演劇や講演会など長らく加古川の文化の中心であった。正面の大アーチ窓にはアールデコ風の幾何学模様をあしらったステンドガラスが使われ、重厚で趣きのある建物である。 加古川小学校の横を通り、2号線(西行き)を少し下ってから、南進して泊神社をめざす。 泊神社の歴史を熱心に学ぶ 現在の社殿は、承応2年(1653年)宮本武蔵の養子・宮本伊織(いおり)が寄進して改築したものと伝えられる。社殿の裏にはそのことを示す大きな石灯篭が立つ。 ここで、もう11時半を過ぎていたため、最後の目的地である鶴林寺はまたの機会にということになった。 大いなる発見とささやかな達成感。では、また来年! (髙田) 東播磨、とりわけ加印地区は印南野という名で風土記・万葉集の時代から風光明媚な場所として知られています。 第4回目は清流会の会員にとっては懐かしい?加古川の市街地を歩きます。 無理のないコース設定になっていますので、脚力が少し心配な方にも安心して参加していただけます。 第4回 2016年11月23日(祝) 【加古川市】 ニッケ社宅クラブ、泊神社、鶴林寺など ○集合・解散時間 午前9時00分~12時30分 ○集合場所 稲美中央公園駐車場 ○参加費 200円(資料代・保険代) ※当日、集めます。 ○順 路 約7キロ、2時間00分(ウォーキングの時間) 稲美中央公園→(車で移動)→加古川市役所(市役所前駐車場「つつじ」)→駅前通り(再開発ビル:ブランズ加古川駅前)
小雨決行とさせていただきます。 天候急変の可能性もあり、雨具をご用意ください。 飲物等は各自でご用意ください。
○和辻哲郎『自叙伝の試み』(中公文庫) 著者(姫路出身)は親戚の家に預けられ、鶴林寺内に設けられた高等小学校に通学。 ○宮本武蔵・魚住孝至編『ビギナーズ 日本の思想 宮本武蔵「五輪書」』 (角川ソフィア文庫) 魚住氏(稲美町出身、清流会24回生、放送大学教授)が武蔵の実像に迫る。 ~未来予想図~ 大都市以外は地方と呼びましょう。 どこも消滅可能性自治体です。 防潮堤などの工事が終了する数年後、いったい東北を含む地方はどうなっているのでしょう。国道6号線を走るとわずか200mの区間に3軒パチンコ店があります。数年後、全国から来ている労働者が去った後は半分消えるでしょう。 次にコンビニ、異常な数です。これも半分は消えるでしょう。関西で90Lのゴミ袋がごみ箱の外に備えつけたるのを見た事があるでしょうか。それほど回転率が高く、労働者がポイポイしていくのです。 今は人・モノ・金が動いている中、復興が一段落した後、東北の太平洋側の経済がどうなっていくのか心配してしまいます。
~仙台をマチブラして~ 東北一の都市、杜の都(もりのみやこ)仙台は兵庫でいうと神戸に匹敵する大きな街で、歓楽街の国分町(通称:ブンチョウ)は三ノ宮の倍くらいの規模です。 すべての道はローマに通ずるがごとく、何をおいてもSENDAI・センダイ。仙台より北は「仙北」、南は「仙南」という区分がなされています。 センター街を歩くとあか抜けていない方々に出会うのに驚かされます。様々な地方出身者が、都に結集している証です。 都会には働くところがたくさんあります。飲食ホールスタッフ、イベント要員、官公庁の事務、除染作業員etc 時給は関西よりも安く、TOWNWORKには時給750円の文字が踊ります。安い労働力で企業が成り立ち、大都市が形成されています。 仙台は復興が落ち着いても、周辺の人口を吸収するだろうし、駅周辺は常に工事が行われ、魅力的な街に常に進化しているので、しばらくは衰退しないと感じられます。 仙台は永久に不滅です。 東高OG・OBの皆様、こんにちは。 「会いたい先輩・輝く先輩」です。 広報いなみ9月号に、宮城県山元町の齋藤俊夫町長が稲美町長を表敬訪問された記事が掲載されていたことをご存知ですか? 現在、北川寿一(高41)さんが山元町に派遣されております。
~はじめに~ 2016年4月、兵庫から宮城にやってきました。復興支援という形での自治体間の応援です。住まいは柴田町、仙台へは車でぶっとばして30分、電車では最寄駅から30分です。兵庫での稲美町と三宮の距離感に似ています。 さて、着任早々、福島第1原子力発電所に最接近してみました。国道6号線を南下すると「2輪通行不可」の電光掲示板が目立つようになり、過去の津波浸水区域という看板が数km毎に立っています。沿岸部の光景はどこも同じで、高さ7m程の防潮堤の工事や農地の圃場整備などの復興・復旧関連の公共工事で重機と10t車が勢いよく動いています。日曜だけは静かなものです。 ここには、全国から集まってきた労働者の男くさい雰囲気を感じ取れ、コンビニは大繁盛、いたるところに単身赴任用のレオパレスのような建物があります。 先日、テレビで東北6県のうち、宮城県だけが人口減少していないという報道があったことが理解できます。一時的に増えているだけなのでしょう。 6月中旬、宮城県最南端の山元町から最北端の気仙沼市を1日かけて下道で往復しました。 見た重機は数百台。オペレータ、現場監督、事務員、工事発注者を含めると復興にかかる残り数年の一時的な労働者の人口は結構な数になります。
清流会稲美支部の皆様こんにちは。 今回は毎年年一回開催されます清流会稲美支部総会のお知らせです。 お忙しいところ申し訳ありませんが、ご参加よろしくお願い致します。 【日時】 7月3日(日) AM10:00~ 【場所】 稲美町立コミュニティーセンター(稲美町役場4階) 【講演】 藤原 閲夫氏(高23回生) 【参加費】 5,000円 (懇親会込み) (ご参考) 昨年は約80人ご出席して頂けました。 ご参加を希望される方は、6月24日(金)までに学年幹事までお知らせください。 以上、よろしくお願い致します。 やや雲があるものの、風もなく穏やかな日差しの平成27年11月23日(祝)、清流会稲美支部の第3回ウォーキングが開催された。稲美中央公園に集まった参加者には、第1回の「播州葡萄園跡と葡萄園池を訪ねて」、第2回の「東二見から住吉神社への遊歩道」の経験者も多く、和気あいあいのスタートになった。 車に分乗して出発し、9時半すぎに三木市役所前の駐車場に到着。参考資料の配布、本日のコース、見どころについての説明があった。 まず、最初に訪問したのは雲龍寺。 三木城攻めに対して籠城し、最後に自刃した別所長治公夫妻の首を住職が埋葬したと伝えられる首塚がある。 次はすぐ隣にある大宮八幡宮。秋祭りで何台もの大きな屋台(約2トン)が、85段の石段を上り降りする光景はBANBANテレビでも有名。「こんな急な石段を!」と感心しながら降りる。静かな住宅街に旧小河家別邸(明治末期の別荘、国登録有形文化財)があったが、土・日のみ開館なので、屋敷の周囲を歩いて大きさを実感。 旧175号線をこえると三木鉄道ふれあい館。かつての国鉄三木駅の駅舎を利用し、市民の交流の場になっている。野菜や弁当なども販売。「高校生の頃、厄神駅からここまで乗った」という人あり。北に向かうと湯の山街道。三木合戦の際、秀吉の命で有馬温泉の湯を汲んできて、野風呂で傷ついた兵を療養させたのでこの名がついたとのこと。金物問屋など歴史を感じさせる民家が軒をつらねている。 旧玉置家住宅(国登録有形文化財)は文政9年(1826年)に館林藩(群馬県)の切手会所として建てられ、母屋2棟と土蔵が残っている。美嚢川(みのがわ)を望む二階の座敷からは、明治以降に住んだ風流な富豪の生活が偲ばれた。説明ボランティアの人が数人待機しておられる。わが稲美支部には歴史好きが複数いて質問を連発。そのため、三十分以上も案内していただいた。 やがて、湯の山街道は滑原(なめら)商店街になる。人通りこそあまりないが、衣料品店、果物店などが懐かしい雰囲気を醸し出している。急な階段を上ると三木城址。 市街地を見渡せる高台に長治公の辞世「今はただうらみもあらじ諸人(もろびと)のいのちにかはる我身とおもへば」の歌碑がある。 隣接する三木市立金物博物館は、時間の関係で、玄関前の石碑から流れる唱歌「村のかじや」のメロディを聞いただけ。もったいないが、各自で機会をみつけて・・・となった。数分後に市役所に到着。 「稲美町の隣に三木市があるのはわかっていて、三木合戦のことも知ってはいたが、実際に三木の街を歩いたのは初めて」、「歴史を大切にして、観光資源にしていることがよくわかった」などの感想をいただいた。それらの声をエネルギーにして、次回のウォーキング企画(加古川市あるいは高砂市)を練っていきたい。 トマトは、ナス科ナス属です。 病気に対して強くなるように接ぎ木苗を使用しているそうです。 その他に、畠農園ではロックウール栽培も行っています。 メリットは、①病気の発生が少ない、②収量が土耕より多い、③連作が可能である、④肥培管理がしやすい、⑤農薬をほとんど使用しなくて良い、など数々確認されているそうです。 溶液管理はコンピューター制御で行われていました。 普段よく食べているトマトですが、知らないことがたくさんあって勉強になりました。 畠さんは、小学校でトマト作りも指導しています。 |
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